デス・オーバチュア
第209話「鴉のお引っ越し」



深い森の奧に、赤い鴉のような女が一人佇んでいた。
血の色である赤と魔性の色である紫が混ざったような毒々しい赤紫の髪と瞳。
長くボリュームのありそうな赤紫の髪は、綺麗に結い上げられていた。
衣服は、全裸の上に血のように赤い色のコートを前開きで着込んでいるだけ。
風になびくコートは、まるで鳥の翼のように見えた。
「…………」
彼女の前方に、血色の絵札(カード)が五枚出現する。
「……炎と悪魔……女王と王女……そして……騎士……か……?」
カード・ヴェルザンディこと真紅の鴉マハは、カードの絵柄から『現在』を読みとっていた。
やっていることはタロットカード等の札の寓意から未来を占う術とあまり変わらない。
違うのは、使用されているのがマハのオリジナルカードであることと、彼女が読みとろうとしている情報が主に未来ではなく現在に置かれていることだった。
彼女の姉であるウルド・ウルズは星……即ち遙か昔の輝き(『過去』)の情報から未来を予測し、妹であるディスティーニ・スクルズは問答無用に『未来』の映像を水晶に覗き見る。
それに対して、マハは世界の現状(現在)をカードから伺い知ることしかできなかった。
ディスティーニのように直接映像が視えるわけでもないので、ウルド・ウルズの星詠と同じく解釈を間違える可能性が常に存在する不確実な占いに過ぎない。
「炎の悪魔……悪魔王?……いや、きっと娘の方だね……」
マハはカードが暗示する現在を的確に把握していった。
未来予測の的中率では妹に劣り、得られる情報量の多さでは姉に劣る彼女だが、現状把握の適切さにおいては他の追随を許さない。
そして、把握した現在の情報からほんの僅かな未来を推察するのだ。
「女王あるいは王女、それとも両方……問題は最後の騎士が誰を意味するのか……ん……来る……」
マハは眼前に配置させていた五枚のカードを消去する。
次の瞬間、凄まじいスピードで、何かがマハの真横を通過していった。


「……ちぃぃ……」
オッドアイはもの凄いスピードで低空を吹き飛び続けていた。
なんか最近、よく吹き飛ばされているというか、こんな風にあしらわれることが多い気がする。
ちなみに、そのうちの殆どは大嫌いな父親である光皇ルーファスによるものだ。
「……それにしても、あの女……」
吹き飛びながらもオッドアイは思索する。
「ふっふっふっ……考えるのは……とりあえず止まってからにしたらどうだい……?」
常人には目視もできないような速度で吹き飛び続けているこの状況で、誰かに話しかけられた。
「……なんだ、貴様?」
赤いコートの女が、後ろ向きのまま走って……差詰め『バックダッシュ』でオッドアイに平行してついてきている。
「……恥女(ちじょ)か?」
赤紫の髪と瞳をした女は、全裸の上に赤いコートしか着ていなかった。
「ふっふっふっ……私のことは……そんなに気にしなくていいよ……それより……」
女の口調はスローというか、気怠げというか、独特のテンポをしている。
「……さっさと勢いを消して止まればいいのに……?」
「ふん……別に無理矢理止まろうと思えばいつでも止まれたさ。ただ、少し考え事をしていただけだ……」
オッドアイは高圧的な……彼にとっては普通の態度……で赤紫の女に答えた。
「ふっふっふっ、意外だね……すぐに止まって……あの野郎ぶっ殺してやる!とか、こんちきしょう!とか叫んで『彼女』の元に舞い戻ると思ったのに……」
赤紫の女はまるでオッドアイの全てを見透かしたかのように微笑う。
「くっ、誰がそんな芸のないセリフを言うか!」
「……言わないのかい? それは残念だよ……」
「…………」
「……てっきり、君はそういった『やられキャラ』だとばかり……」
「貴様ァァッ!」
オッドアイは怒りを露わにすると、左手で握っていた真王聖剣(エクスカリバー)を振りかぶった。
「そう、そんな感じで逆上して襲いかかって、返り討ちに……」
「消え……ろ?」
もうこの女が何者かなどどうでもいい、とにかく『消し去って』やるとばかりに、真王聖剣を振り下ろそうとしたが、剣が振られるよりも速く、女の姿が視界から消える。
「さて、運命の女神から君に質問だ……」
女の声はオッドアイの背後からした。
「貴様……」
オッドアイは背後を振り向く。
赤紫の女は、オッドアイの一歩先をバックダッシュで駈け続けていた。
「……君は、年上と年下どっちが好きだい……?」
「ああっ?」
振り返り様に斬り捨てやろうかと思っていたオッドアイは、あまりに予想外で意味不明な質問に毒気を抜かれる。
「……まあ、右か左、どちらに行きたいでも別にいいんだけどね……ふっふっふっ」
「なぜ、僕がそんな訳の解らぬ質問に答えてやらなけれ……」
「それとも、どちらでもないもの、真ん中……私を選んでみるかい……?」
「なっ!?」
瞬間、女の口元に悪戯っぽい微笑が浮かんだ。
「……冗談だよ」
オッドアイの反応(微かな動揺)が愉快だったのか、女はクックックッと楽しげに喉を鳴らす。
「貴様……」
「……時間切れだよ。君は選ばないという選択を選んだ……それは、偶然という名の必然……運命の女神(私)に身を任せるということに他ならない……」
「何を言って……」
「君の未来、進む道を私が勝手に適当に決めてあげるという意味だよ」
「ふざけ……」
「飛べ、運命の導くままに……っ!」
「ぐうああぁぁっ!?」
赤紫の女の右足はオッドアイの襟首を掴むと、彼を遙か彼方へと投げ飛ばした。


「…………」
オッドアイの姿は彼方に消え去り、赤紫の髪と瞳をした女……マハだけが一人その場に取り残されていた。
『魔王を『足蹴』にするなんて、マハ姉様もよくやるわね』
「……ネヴァン」
マハの前に、 無数の黒羽が渦巻くように発生したかと思うと、黒羽の渦の中から漆黒の鴉のような女が出現する。
現れたのはマハの妹、ディスティーニ・スクルズこと漆黒の鴉ネヴァンだった。
黄色い美しい髪を左右に結んでそれぞれ大きな縦ロール(ドリルツインテール)にし、背に漆黒の翼を持ち、黒い無数の羽を集めて作ったかのようなドレスを纏った少女。
「……正しくは蹴ったではなく、投げただよ……」
マハはネヴァンの発言の細かい部分を訂正した。
「大差ないじゃない……というか、投げた威力じゃないわね、さっきのは……一体どこまで飛ばしたの?」
ネヴァンは、オッドアイが消えていった方向に視線を向ける。
投げたにしろ、蹴ったにしろ、オッドアイは常識外れなとんでもない威力で飛ばされていったのだ。
「……彼の行くべき場所へ……」
マハは瞳を閉ざし、ただ一言そう呟く
「ふう〜ん」
これ以上いくら聞いてもマハは何も答えないだろうと、姉の性格性質を熟知しているネヴァンは、いまいち理解できなかったが納得することにした。
「終わったようですね」
錫杖の鳴る音。
音のする方に視線を向けると、灰色ずくめの五歳児がゆっくりと歩み寄ってくるところだった。
「……モリガン……」
「姉様……」
マハとネヴァンの姉、ウルド・ウルズこと灰色の鴉モリガンである。
「さて、ではどうしましょうか?」
モリガンは二人の妹の前まで来ると、錫杖を鳴らして立ち止まった。
「新しい住処に帰りましょう」
「……見物に行く……?」
二人の妹は見事に異なった意見を口にする。
「見事に意見が分かれましたね……」
「もう、マハ姉様たら、何を見たいのか知らないけど、なんならあたしが水晶に映してあげるわよ。だから、早く……」
「……そんなにあの男に早く会いたいのかい……?」
「なあぁっ!?」
ネヴァンの頬が瞬時に赤く染まった。
「ち、ち、違うわよ! ただ早く挨拶を……礼儀、そう礼儀的にね!」
動揺を誤魔化すかのように一気に捲し立てる。
「ふむ……マハ、あなたが見たいのは何処で起こる『出来事』ですか?」
モリガンは冷静に、赤い方の妹に尋ねた。
「……んん……クリア国……もう始まっているかも……?」
マハはいまいち自信なさげに発言する。
何時、何処でといった事は彼女の占いでは正確に解りにくいのだ。
「なるほど、方向は同じですね……では、先に向こうに寄っていきましょう……」
「……解った……モリガンがそう言うならそうする……」
マハは駄々をこねたりせずに、素直に姉の決定に従う意志を示す。
死体愛好症(ネクロフィリア)で、あらゆる意味で危ない性格と性質をした妹だが、彼女は基本的に姉であるモリガンにだけは忠実だった。
「ネヴァンもそれでいいですね?」
「あ、うん! でも、あたしは別にあいつに会いたいから急いでいるわけじゃ……」
「それはどうでもいいです、行きますよ」
モリガンは文字通り灰色の大鴉に変化すると、大空へと羽ばたく。
「あ、待って、モリガン姉様!」
「…………」
ネヴァンとマハも、それぞれ漆黒と真紅の大鴉に化けると、姉である灰色の大鴉を追って大空を飛んでいった。



ダイヤモンド・クリア・エンジェリックの生活は、クリアだろうと、コクマの居城だろうと、何処だろうと余り変わらない。
彼女は毎日を、優雅にマイペースに過ごしていた。
「ん〜、いい香り……」
今日も彼女はティータイム(お茶の時間)を楽しんでいた。
美味しい紅茶さえあれば、それだけで彼女は幸せなのである。
「…………」
幸せそうにミルクティーを啜りながら、ダイヤは様々なことに想いをはせていた。
「そういえば、あれはいつのことだったかしら?」
この城の主であるはずのコクマ・ラツィエルは、引き籠もりをやめたと思ったら、墓参りに行くと外出したきり、今度はちっとも帰ってこない。
「ん〜、最近、日にちの感覚があやふやですわ……」
コクマが出ていったのが昨日のことのようにも、何週間も前のことのようにも思えた。
優雅なティータイムと気が向いたらエアリスの世話……毎日やっていることに代わり映えがなく、日にちや曜日の感覚がおかしくなっても無理もない。
「……墓参り……か……」
ダイヤは、コクマの口にした『墓参り』の意味を誰よりもよく理解していた。
「ルーヴェ帝国……そして、名前すら忘れられし古の大陸……」
三千年前? 四千年前? 遙か遠い昔の出来事でありながら、その時代から生身で生き続けているコクマにとっては、昨日の出来事と変わりない身近な出来事……記憶なのかもしれない。
「……それは、『わたし』も同じ……なのかしらね?」
ダイヤは口元に自嘲的な微笑を浮かべた。
「まずいわね、ここまで『あやふや』になるのわ……ん?」
気配を感じた瞬間、窓の方からコツンコツンといった音が聞こえてくる。
「……鴉? しかも、随分とカラフルですわね」
ダイヤはいつもの口調に戻ると、外から窓をつついている灰、赤、黒の三色の鴉を愉快そうに見つめた。
三匹の鴉は一度窓から離れると、勢いよく窓へと強襲する。
だが、窓が砕け散ったりすることはなく、鴉達は窓を『擦り抜け』た。
鴉達は床に着地すると同時に、人の姿へと転じる。
「ようこそ、カラフルな鴉さん達、御一緒にお茶しませんか?」
ダイヤは事の成り行きに欠片も動じることなく、鴉から変じた三人の女を歓迎した。


「む〜? 誰かと思えば……大分姿が変わったものだな、ディス?」
ダイヤ、モリガン、マハ、ネヴァンが一つのテーブルを囲んでお茶会をしている場に、如何にも寝起きといった感じのエアリスがやってきた。
「相変わらず不規則というか、喰っちゃ寝の生活をしているみたいね、絶滅危惧種の黄金竜さんは?」
ディスティーニことネヴァンは、旧友に軽口を返す。
「お前こそ何だ、その頭は? ドリルなど二つもつけて……武器のつもりか?」
「失礼ね、これだからファッションセンスの欠落した野生動物は困るのよ! 髪にしろ、服にしろ、あなたと違ってあたしは常に最先端の流行を……」
「服など着心地が良ければそれで構わんだろう。お前のは無駄に派手だ」
エアリスとネヴァンは端からは口喧嘩しているようにも見えるが、実際はこうして旧交を温めあっていた。
「こんな愉しそうなネヴァンを見るのは久しぶりですね」
モリガンは、アップルティーを飲みながら、エアリスとネヴァンのやり取りを眺めている。
「…………」
マハは無言で、ブラック(ミルクも砂糖も入れないありのまま)の珈琲(コーヒー)を啜っていた。
見たいものがある、行きたい場所があったはずなのに、今のマハからはその焦りは欠片も感じられない。
「フフフッ、お話が弾むのは結構ですけど、レモンティーが冷めてしまいますわよ?」
ダイヤが、まだ一口もつけずに置かれているネヴァンのティーカップを目で示した。
「ん、そうね……」
ネヴァンはエアリスとの言い合いをやめて、ティーカップに手を伸ばす。
「エアリスはいつものグリーンティーでいいの?」
「ああ、濃いめに頼む……」
ダイヤはテキパキと用意し、エアリス愛用の湯飲みに緑茶(極東のグリーンティー)を注いだ。
「…………」
ネヴァンがレモンティーに口を付けながら、じぃぃっとダイヤに観察するような眼差しを向けている。
「……何か? えっと、ネヴァンさん? ディスさん?」
「ネヴァンでいいわ。ディスは正しくはディスティーニなんて呼びにくい名前だしね。それより……」
「失礼、まだ略称で呼ぶ仲では無かったですわね。フルネームを知らなかったもので……」
「……ああああっ!? そうか、思い出したわ……」
突如、驚愕の声を上げたかと思うと、厳しい表情でダイヤを見つめた。
「どこかでお会いしたかしら?」
「……いいえ、あたしが一方的に知っているだけよ……そっか、コクマはついにあなたを見つけちゃったのね……」
「……なるほど、占いで以前に私を視ていたと……いずれ、コクマと出会う私を……」
ダイヤは、ネヴァンがなぜ自分を知っていたのか察する。
「ええ、あたしは水晶に未来を映し出す者……教えてあげましょうか? あなた『達』の未来を……」
ネヴァンは水晶玉を取り出すと、感情の消えた冷たい表情を浮かべた。
「遠慮しますわ、縛られるのは過去だけで間に合ってますもの……」
「……『過去』ですか……?」
モリガンが自らが司る言葉に反応する。
「そう、過去ですわ。いつまでもまとわりつくかつての罪と縁……本当、過去なんてくだらないですわ」
「…………」
「過去など流れ続ける時間の中では何の意味もない、過去に捕らわれず、常に未来だけを見つめて目指して生きるべき……そうは思いません?」
「……確かに、過去のことに捕らわれて、現在を駄目にし、未来を閉ざすのは愚かなことでしょう。しかし、過去から何も学ばない者もまた愚か者です」
「……なるほど、確かにそれもまた正しいですわね。失礼致しました、別に過去というものを侮辱する気はありませんでしたの……ただ……」
「ただなんですか?」
「……ただ、私は過去が大嫌いなんですの。過去を否定しない限り、私の現在は無意味になってしまうのだから……」
ダイヤはどこか遠くを見るような眼差しでそう告げた。
彼女は哀しみ、自嘲、自虐といったものが複雑に入り混じったような表情をしている。
「……それは大変興味深い話ですね」
「……私のお友達に、前世の記憶というか人格を持つ人が居るのだけど……」
話題を変えるつもりなのか、ダイヤは先程までの話と繋がりがあるとは思えないことを言い出した。
「……?」
「もし、前世の未練を果たすために今を生きたら……それは過去を選んで、現在……今世の生を台無しにする行為だと思いませんか?」
「……なるほど……そういうことですか……」
繋がっている、話題は変わっていなかったようである。
モリガンは全て解ったといった感じで、とても納得した表情を浮かべた。
「何の話よ? モリガン姉様もやけに納得した顔して……」
ダイヤとの会話をモリガンに奪われた形になったネヴァンが、二人の会話の真意が解らず、口を挟む。
「未来だけしか視えないあなたには、彼女の正体……いえ、想いは理解できないということです」
「何よ、それ……?」
尊敬……畏怖する姉の言葉とはいえ、自らの能力(存在)を否定されたかのようで、ネヴァンは至極不愉快だった。
「タイプ、法則の違いです……あなたが私に劣っているわけではありません」
ネヴァンの心中を察したのか、フォローするようにモリガンは言う。
「私は全ての過去を知ることができる……その代わり、私の未来視はあくまで過去の情報からの計算でしかない……あなたのように本物の未来を垣間視られるわけではないので、外れる可能性もある……つまり、的中率を考えればあなたの方が……」
「いいよ、モリガン姉様、無理にフォローしてくれなくても。この世の全ての過去を『検索』できる姉様なら、簡単にこの女の正体が見破れる、何を考えているのかさえ……本当、姉様の能力は凄い……」
そう言って、ネヴァンは少し自嘲的に微笑んだ。
「ネヴァン……」
「だから、気にしなくていいって……そんな哀れむような顔しないで……」
「……どうでもいいけど……」
我関せずで、珈琲を味わっていたマハが口を開く。
「マハ?」
「マハ姉様?」
「……二人のどっちの長所も持っていない私は何なんだろうね? 過程(過去)も知れず、結果(未来)も視えず、現状を把握するだけしかできない存在……二人が自分を卑下する度に、私の立場がなくなるのだが……?」
溜息と共にマハは言った。
「……すみません、あなたを間接的に卑下するつもりなど……」
「ごめんなさい、マハ姉様……」
「いや、別にいいよ……私の場合、問答無用に二人に劣っているからね……それはそうと、ネヴァン……」
「何、マハ姉様?」
「そろそろ、視たい映像(モノ)があるのだが……」
「あ、ごめんなさい、そうだったわね……」
「……早く早く……」
マハは母親にお強請りする子供のように、無邪気に妹を急かす。
「ちょっと待ってよ、そりゃ確かに視せてあげるって約束したけど……何て言うか……ねえ……?」
ネヴァンは、自分の水晶玉が『テレビ』扱いされるのはなんか嫌だな〜と思った。










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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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